特選明和電機102001.8.10発売/A5size 36P/500円

illustration:Isuzu Hino

正道社長、35歳定年、社長辞任! 副社長 信道氏 社長就任>

(社長→元社長=土佐正道:兄  副社長→新社長=土佐信道:弟)

 「特選1」から当時を思い出しつつこの原稿を書いています。とうとう…ついに…このネタを書く時がやってきました。
 今まで明和電機を陰ながら見てきましたが、この時以上に驚いたことはありません。

 パワポが動かなくても、製品が動かなくても、財布・スマホ・パスポートをなくそうが、嵐をよぼうが、はいはい〜!ファイト〜!と思っていますが、この時ばかりは…感電、黒焦げ、真夜中の海に突き落とされたようでした。

 「35歳定年・社長辞任」が発表されたときは「もう2度と2人並んだ姿は見られないんだ」と思い、泣きそう…というか泣きました(TОT)。
 蓋を開けてみれば、正道氏は時々「元社長」→「会長」として明和にジョイントしてくれるようになり、おばちゃんファンはそれを見て、縁側でお茶と饅頭を食べているような安心感で満たされるのです。

 実は社長 正道お兄ちゃんが明和電機に「社長として」在籍していたのは7〜8年。
 その後すでに20年近く現在の信道社長=明和電機となり、セーモンズ、オタマトーン、ヒゲ博士…と面白い作品をどんどん発表しています。にもかかわらず、90年代明和電機をずっと見続けてきた人間は「明和電機は2人」というイメージが脳裏に焼き付いているのです。それ程初めて見た明和電機は衝撃的だったのです。
 
 正道社長が退任してから長い年月が経ち、改めて「2人時代の明和電機」の軌跡をたどると、正道氏が辞任した事が、自分なりにですが理解できます。

 <正道氏は…>
 「自分」という概念さえ邪魔。作品作りにのめり込めれば、仕事も最低限でいい。他には何もいらない。
 制作さえできれば、自分自身はスライムでも構わない。という位「自分」にこだわりがない印象を受けます。

 <信道氏は…>
 「自分」の内面をトコトン追求。作品作りは自分の内面を表現する何よりも大切な事(まさにアーチスト体質!)
 サバオは一番わかりやすい例かな、と思います。
 信道氏が時々おっしゃる「作品にポエムが欲しい」というのは作品の中に自分自身を投影したい、とも受け取れます。

真逆だっ!wwwww。
 一見すると似たもの兄弟のようで、実は内面は真逆な2人が明和電機という枠組みの中でくっついたり、離れたり、化学反応を起こしてた。それが初期明和電機の面白さだったんだな〜と今、改めて思います。

 こんなに長々と書いてきましたが、この「特選10」を出した2001年時点で、私ともう1人の描き手の日野さんはある程度はわかっていたんじゃないか?という文章が残ってます。
 当時あまりの驚きに、ビール片手に30過ぎの女2人がクダ巻いて対談した時の一部抜粋です。

(↓当時の誌面の煽り文句。笑える〜 ※開幕より幕開けがいいと思うけど頭に血が上ってたんだろう。)
21世紀開幕!3月に届いた電協ジャーナル驚愕のトップ記事が!
社長辞任!新社長は副社長(弟)土佐信道が就任する。これは、明和電機の崩壊か?それとも新たな発展の兆しか?
怒り、疑問、悲しみが渦巻き、荒れくるう明和オフィシャル掲示板!明和電機始まって以来の一大事件に緊急対談を実施!


日:なんかさあ〜。大騒ぎしてるけど、バンドの解散とゴッチャにしてない?
大:あ〜。このオフィシャル掲示板の書き込みは完璧にそうだよね。(「これからも頑張ってください」とか「なんで辞めちゃうんですか? 悲しいです」とか「フザケルな!ちゃんと説明しろ!こんな時までやりにげするな!」…etc)
日:アーチストが絵描けなくなった、とかって必ずあるわけで、それが単に「社長辞任」って形なわけなのに。
大:信道氏ってさあ〜。自分の殻ってほどじゃないけど、自分の世界があって、そこから出てこないみたいな所あるよね〜。
日:「バリアー」っていう人もいるよね。
大:壁じゃないから、見える、鑑賞も出来る、でも絶対に触れない…。気に入った人しか入り込めないような。
日:神だからさ(笑)結界はってるんだよ。結界!
大:それを中和してたのが正道氏だったのに。
日:実社会との繋がりが絶たれた!

日:でも、信道氏って人見つけて引き込むの旨いじゃない。
大:まずはなんてったって正道氏!(笑)グラインダーマンにスメリーにクワクボさんに…
日:だからそのうち、いい感じの人見つけてくるような気もするんだよね〜。
大:それを願うか、完全にリニューアルするか、だよね。でもさあ、明和の掲示板、こんなに毎日書き込みあったのってこれが初めてだよね、きっと
日:一応、非常事態だからね。よかったね〜。正道、愛されていたんだよ!

大:これから正道氏、なんか一人でやるのかな?
日:ん〜。やるかもしれないし。でも、別に何にもしなくてもいいけど。
大:え!それ淋しいよ!
日:正道氏って、なんていうか無理しない大人って感じ。あんまり先の事考えないで今やりたいことやって、それで食べていければいいんじゃない?って感じするんだよね。
みんな会社とかいろいろシガラミがあって好き勝手できないけど、じゃあ、シガラミ取り除くかっていうとそれもできない。
でも、正道氏ってあっさりそれを捨てちゃって、全然平気でやっていける。って感じがスキなんだよね。

大:それは、つまり、「明和電機」というシガラミをあっさり捨ててしまったと、そーゆーことでしょうかね〜?
日:結局、そこに落ち着くんだろうか?(笑)

大=大村(わたし)、日=日野いすゞさん

 「僕の辞書にはシガラミって言葉がないんだよね」という正道氏は明和電機をさらりと通り抜け、自分=明和電機の信道氏はそのまま今に至る。しかも超優秀な工員さんを引き込んでる…ちょっとは当たってる?。そして、それを言い当てた日野さん!流石だ…。

 「バンドの解散じゃあるまいし」と対談の中で言ってますが、
バンドが解散しやすい時期は大体4〜6年目が多いというページを発見しました。明和も1993年から2001年位まででほぼ7〜8年なので近いといえば近いか…。

 バンドと明和を一緒にする訳ではないですが、ユニットで2人1組となれば一緒に行動する時間も増え、たとえ兄弟でも煮詰まる時もあったでしょう。そうするとね…、相手が嫌いじゃなくても、離れたくなる、1人になりたくなる時ってあるでしょう…。人間わwww。だから解散や離婚があるんですよね。

 今のお2人を見ていると、「卒婚」(卒明和?)という言葉がとてもしっくりきます。
 ゆるくつながりながら、お互いの人生を楽しんでる。いいなあ。理想的。
 先見の明に長けた現代芸術家は、2001年時点で卒婚実践。さすがです。ちなみにwikipediaによると「卒婚」という言葉、考え方が世に出たのは2004年だそうです。

■廉価版ビットマン発売記念、マジカルビットナイト
 「ビットマン」廉価版発売イベント。参加人数は30〜40人以上はいたと思います。その全員が購入したばかりのビットマンを胸につけ、表参道NADiffから渋谷界隈を、新社長とクワクボさんを追いかけ探しながらのスタンプラリー。真冬の夜に赤く光るビットマンの群れ。怪しい!怪しすぎる!不気味な集団が表参道〜渋谷を闊歩しました。

 ラリーのお題目は「B□□□□N」バレバレだあ〜ね〜。
 表参道NADiff→表参道占い師サバオ(社長がサバオを被って占い師になってた)→渋谷ハチ公前→駅前電光掲示板に「BITMAN」の表示→タワレコ前→ハンズ側のドトール→西武→再びNADiffへ…というルートでした(おおよそwww)。
 新社長の後をぞろぞろと歩くビットマンの群れ。殆ど宗教です。新社長曰く「異様な光景ですね〜」
 途中で新社長を見失い、ウロウロしたり、迷ったりしながらなんとかゴールのNADiffに戻りました。真冬の2月!寒かった!
 お土産の魚コード7色ストラップ(7色の魚コードをバラバラにして各色1個(骨)づつ繋げたもの)を頂き、あったまりました。

 ↓どこかに失くしちゃったかなあ?と思ったら発掘できました!一緒に元祖バッタもん、香港の魚コードストラップも出てきたので載せておきます。三和電機って何〜www。

そしてラリーはまだまだ続く!ヲノさんが渋谷近辺の「三宿Web」(※1)でDJをする、そのイベントに新社長も参加する!これは行かねばと、友人知人をかき集めタクシー移動。三宿Webは細長く狭いクラブなのですが、その日は足の踏み場もないほどの満員。新社長は「一番ステキな体でいこう!」を熱唱。外は寒いけれど、蒸し暑い一夜でした。

■明和電機とロンドンに行こう!「明和電機ロンドンツアー」
 イギリスのイベント「TOKYO LIFE」に参加

 2020年の明和は国内より海外活動の方が多い位ですが、21世紀初頭はまだまだ国内が活動の中心でした。
 明和の海外進出の第一歩が、イギリスの日本サブカル紹介イベント「TOKYO LIFE」への参加、それと同時に行われた「明和電機ロンドンツアー」でした。
 今では絶対ありえない、ファンにとっては最初で最後(多分)、明和と同行できる貴重な海外ツアーでした。

以下、当時明和電機ロンドンツアーに参加した方のコメント一部抜粋です。
  • 場所はオックスフォード駅そば「セルフリッジズ」というデパート。階数は少ないけれど、1フロアがとても広く、高級ブランドから比較的庶民的な店まで多種多様に集まっている。
  • 2001年はイギリスではジャパン・イヤーだった。日本のサブカルチャーを紹介するイベント「TOKYO LIFE」に明和電機は参加。
  • デモはエスカレーターの真横で「ここで?」という場所だった。
  • 電圧が違うため、コイビートの結線部分が火を噴いた。
  • タラッター、ボイスビブラータなど、一目でわかるものはウケていた。
  • 武田丸はウケると思ったがそうでもなかった。暴走族という文化がわからないと面白さが伝わらないのではと思った。
  • ビットマンが大人気!3日で売り切れてた。価格は日本の約2倍、高い〜。
  • 展示はすっきりまとまっていた。ビデオ上映もあり、親父ギャグも英訳されていた。明和の展示は理解しようとキャプションを読む人が多かった。
  • 松陰さんの「STAR」が、めっちゃウケてた。
  • →松陰さんのTOKYO LIFEの映像がサイトにUPされてます!確かに面白い!
  • 新人工員ユーリ君、ツアーメンバー全員で食事した時、自己紹介後全く話さなかった。緊張してたのかな(←今や世界的アーチストのスズキユーリ君!)

 ↑楽しそう…。行きたかった!私、行きたかったんですよ。ほんとに。
 しかし…ロンドンツアーの2ヶ月前に…結婚しちゃったんだよね…。しかも新婚旅行も行ってなかった。何度、明和のロンドンツアーを新婚旅行にしようと心の中で思ったことか。
 思ったけど、流石に口にはしませんでした。そのまま成田離婚(死語。2001年当時はよく耳にする言葉でした)ってのもシャレになんないしねwww。

 けれど、どうしても「特選10」にロンドンネタを載せたくて、参加した方にお願いしてコメントや写真を頂き、なんとかページを作りました。その時の方達がこのサイトを見ているかどうかわかりませんが、その節はありがとうございました。本当にお世話になりました。

 さて。新婚早々、同人誌ばかり作ってた私は、喧嘩ばかりしてました。
 それなのに、何故か「特選10」を入稿した直後に「妊娠」が発覚しました。(それまで原稿に夢中で、月のものカレンダーなんて全く気にしていなかったとも言える。入稿が終わって、あれ〜?そう言えば〜?って感じですよwww)
 丁度13週目の胎児の頃にはっきり確定したのですが「サバオで〜す!子宮からきました〜!」という声は、子宮からは聞こえませんでした。

<本誌掲載イベント&TV ON AIR>
2001:01.12 表参道NADiff 土佐正道個展 ベネチアへの道
2001:01.17 NHK テントでセッション
2001:01.21 神奈川県茅ヶ崎美術館 クワクボリョウタ Lo-Fi「メディアとおもちゃ感覚」(ページ制作:日野いすゞ)
2001:02.06 表参道NADiff ビットマン販売記念 マジカルビットナイト
2001:03 正道社長、35歳定年で社長辞任発表 (大村&日野いすゞ 緊急対談)
2001:03.25 NHK トップランナー
2001:04.13 六本木RING パフォーマスターズ(グラインダーマン、スメリー、トーストガール)
2001:05.04-07 イギリス 明和電機ロンドンツアー(ツアー参加者様のコメントと写真で制作)

※1:三宿Web
コロナの影響もあり、クローズ予定のようです。
→三宿Web
→老舗CLUB三宿web閉店の真相をナガサワさんが自らが語る!
渋谷、新宿、六本木、横浜辺りに乱立していたレコード店、アップリンク渋谷…。時代と共に生まれるものもあれば消えていくものもあるのだと、50を過ぎるとひしひしと感じます。

※明和電機のファン同行海外ツアー:
 ロンドンの後、2005年パリ、2006年香港、2カ国で企画されていました。ファンクラブからチラシが届いた時は、行きたいなあ…と思いましたが、当時3〜4歳の子を残して行くことはとても出来ませんでした。
 結局この2ツアーは決行されたのか…?当時のファンクラブ会報誌 明和電機ジャーナルを見返しても海外遠征の記事はあってもファン同行の記事ありませんでした。決行されなかった可能性が高いです。
 ロンドンツアーへ行かれた方はまたとない貴重な経験をされたと思います。そしてツアーの様子をお聞きして、本に掲載できたことは1ファンにとって有意義なことだったと、2020年の今改めて思います。コメントを寄せてくださった参加者の方々に重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。

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