特選明和電機51998.12.29発売/A5size 36P/400円


箱根彫刻の森美術館での展示、ビットマン限定販売、まさかの吉本興業移籍!

(社長=土佐正道:兄  副社長=土佐信道:弟)

 大事なスポンサー、ソニーを離脱して、この先明和はどうなるんだろう…。
 そんなファンの不安をよそに、明和電機やってくれました。まさかの「箱根彫刻の森美術館」での展示&デモ&ワークショップ開催です。
 そしてこの頃から(当時)副社長の雨男っぷりが頭角を現してきました。展覧会初日どしゃ降りの大雨。それでも大盛況で2回開催予定だったデモが定員オーバーで入りきれず、急遽3回になるほどでした。

■箱根彫刻の森美術館 展覧会 雨男伝説のはじまり〜
 庭は広いが建物はコンパクトな「彫刻の森美術館」展示作品は新製品の「ソーウツボー」「プチプチパンチ」「ネンネンコロリー」、ドライブド・ライブで華々しいデビューを飾った「ビットマン」、ドライブド・ライブ壮行会で初お目見えした木製の小型パチモク「パチモク1万弱」(1万以下で作れるからwww。7つあり、青、緑、黄色、ピンク、赤、黒、白に塗られている。おもちゃ感がとても可愛い)の展示が濃ゆ目のファンには嬉しいものでした。(パチモク1万弱は、「アルプス一万尺」にかけていることは言わずもがな)
 また、私はこの時初めて「明和電機のワークショップ」を間近で見たのでした。人数制限で参加できなかったのが残念ですが、ワークショップのお題目は「缶ピアノ」…そう、(現)会長、正道氏が今も改良を続けているカリンバのような指で弾いて音を出すシンプルな楽器です。 20世紀から温めていた楽器なんですね。
缶ピアノについてはこちら→

■美術大学 学園祭で明和電機が本当に伝えたいこととは?
「特選5」では大学の学園祭ネタも多く掲載されています。
当然、美術系大学なのですが、そこで必ずと言っていいほど口にするのが、

「アーチストはサービス業」
 →お客さんに作品のコンセプトを分かりやすく説明する

「収入を得る事を考える」
 →お金がなければ作品は作れない。作品をただ作るだけでなく、どうやって売るかを考えながら作る

「アーチストは個人事業主」
→ 収入&収支、確定申告など会社経営と同じ知識を身につける必要がある

 と言う事。身をもって実行しているお二人に言われると本当に説得力あります。
 そして付け加えて言うのが、
 「日本では美術は崇高なもので、山にこもって貧乏してなきゃいけない、と考えられているけれど、それじゃ食えないし、そもそも作品も作れない」…本当ごもっともです。

 美術館に行くと日本人が「崇高」と考える絵画が展示されていますが、有名どころでゴッホは自分自身は貧乏でしたが優秀なマネージャー弟テオがいたからこそ作品を作れた。レンブラントのような宮廷画家はまず大切なパトロン、王后に気に入られるようにしていた。日本で言えば狩野派は今でいうデザイン事務所のように大人数で作品を大量生産して400年も栄えちゃったわけだから、もう超、超優良企業!
 過去の偉人も皆、営業努力をして作品を作っていたんですね。

 さて、そんな営業努力も怠らない明和電機。ソニーと契約解除後、なんと!あの!大阪お笑いの大ボス「吉本興業」に「いらっしゃ〜〜い」されちゃいました。ソニー時代とはまた違った明和が見られるのではないか、とファンは期待とそして不安も抱えながら、この先も応援して行くのです。

<本誌掲載イベント>
1998:07.20 秋葉原インターネットフェア
1998:08.04 セシオン杉並デモ
1998:08.08 箱根彫刻の森美術館/明和電機展
1998:08.15 渋谷アップリンクファクトリー ミーチ兄弟
1998:08.22 相模大野 ISETAN グラインダーマン パフォーマンス
1998:09.12 INTER NETちゃ楽
1998:09.21 三吉演芸場デモ
1998:10.03 クラブチッタ川崎/スギウラフィル/ゲスト:明和電機
1998:10.08 ラフォーレ原宿カプセル展トークショー
1998:10.18 名古屋造形芸術大学学園祭
1998:10.24 渋谷パルコPART3-レゴ展
1998:11.01 女子美術大学学園祭
1998:11.05 筑波大学25周年記念/明和電機凱旋公演

※三吉演芸場は普段はご近所のおじいちゃん、おばあちゃんが寄席を見に行くようなゆったりした場所でした。社長曰く「知り合いの市役所に勤めている人に頼まれて」この会場でライブをすることになったようです。

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