特選明和電機31997.12.28発売/A5size 36P/400円


出るわ出るわの明和電機製品、3rdアルバム「魁」「魚器図鑑」。展示品もイベントも目白押し「魚器展」、ゲストも豪華な「ミーチ兄弟」

(社長=土佐正道:兄  副社長=土佐信道:弟)

 明和電機ご本人達は自分たちの魅せ方が、ファンの人達は明和電機の楽しみ方が板についてきて、お互い楽しもうぜ!というグルーヴ感が自然に溢れ出てきたような時期でした。

■3rd CD「魁」の販売促進インストアイベント
 今は殆どありませんが、タワーレコード、HMV、WAVE…都内の主なCDショップを駆け巡りインストアライブを行っていました。
 1〜2週間に1回は明和電機ライブが見られるという、今では考えにくいハイテンション&ハイスピード状態。ライブには明和のお2人だけではなくヲノさん、初代 明和電機工員4人組グラインダーマンも登場。狭い店内のステージで火花散るグラインダーをかき鳴らしていました。火花避けにビニール傘が渡されましたが、ビニールって…溶けるよね?www。今なら火器NGでグラインダーは使用できないかもしれません。平成初期はまだまだテキトーで呑気な時代でした。
 店内のステージには幕もないのでリハーサルも見放題。ガンダムWのヒイロ・ユイみたいなヨレヨレボロボロのタンクトップを着た社長が前説で拍手指導をしたり、副社長が全くキーの合っていない「地球のプレゼント」を歌ったり…そしてステージが始まります。

 最初は通常の制服で演奏、最後にバリバリモードにチェンジ。着替える場所などないのでグラインダーマンが白い布で覆い隠しその中でバリバリに変装します。
社 長:え〜このルックスでございますが、今年のルックスがこれなんです。
副社長:たんらん、ぼんたん、ツータック、エナメルのくつ
社 長:まだ、前の制服の時は言い訳ができたんですよ。お父さん、昔こういうの着てたでしょ僕達がそのあとをついで…って。
副社長:ヤンキーって何だろう…表装の文化ってなんだろう…実験してるんです僕は。
社 長:兄弟まきこんで
副社長:おにいちゃんに迷惑かけて!
社 長:先日私、子供できたんです。このかっこのヨメのリアクションが、かなしゅうて、かなしゅうて〜なまなましい話ですね。
 この兄弟の独特の間の会話は今も昔も変わっていません。

■持ち芸大会!ミーチ兄弟
社 長:本日はかくも賑々しく…お集まりいただきありがとうございます。
社 長:え〜今日は、科学とは、なんぞや!という…え〜さまざまな科学をみていただきたいと…え〜小売科学!(小売価格!)え、はじめまして、私、今日の学会の総合司会のドクターTマッサミーチ!
副社長:え、本日の副総合司会のツウーザ.ノブーミチです。あと、もうひとかたドクターオーノー。え、それでは、科学、研究発表です。

 研究発表という名のかくし芸大会。グラインダーマンのキャプテンハーロック熱唱。社長のリコーダー演奏(社長=正道氏)リコーダー好きはこの頃からの筋金入りだったんですね。副社長のノッカー演奏に合わせ適当な円周率をお経のように唱え、真っ赤なスカーフを歌う…。最後はサイン入りTシャツをオークションして6000円で売っておりました。実はもっと高額な値段がついたのですが、副社長がこれはまずい!と思いとどまり6000円で終了させたのでした。

■祝!A〜Z 26製品完成記念「魚器展」
 魚器シリーズA〜Zまで26製品が完成、それを一堂に見ることができる、ファンにとっては生唾ものの展覧会でした。明和の製品をじっくり見る事のできる初めての機会だったと記憶しています。ご本人達のギャラリートークあり、デモ&ライブありと展示期間中は何度も渋谷パルコや大阪なんばCITYへ通いました。

 トークイベントで副社長の「魚器とは何か?」を説明した時のコメント。根本は同じですが言い回しはずいぶん変化したんだなと思います。
魚器とは?:自分って何?って考えて自分を魚に置き換えて考えてみたんです。何で魚かっていうと、自分でも解りません。子供の頃魚の怖い夢みたんです。魚ってシンプルなんです、INPUT/OUTPUTがめし食ってウンコすると。モデルとして都合がいい。で、持久力がないので、作りたいものをコマギレにして作ると…つまり、ショートショートです。星新一です。この製品たちは僕たちの脳味噌の1部です。
 
■老舗明和電機同人誌サークル「明電商会」さん主催、明和ファンによるファンの為の明和イベント「裏電博」
 副社長も「参加したい」とコメントしてくれたイベントです。当サークルも「特選明和電機」を展示販売しました。
 明電商会さんが収集した珍しい明和アイテム展示、明和が出演したTV番組を編集したビデオ上映、自作パチモクを背負いステージでデモをする「偽明和電機」と名乗る青年…。
 全国から集まった明和電機の濃ゆ〜いファン達。皆さん一癖も二癖ありそうないい面構えでしたwww。
 明和ファンってこんなにいたんだ!という驚きと喜び。ファンとしてのライバル意識と焦燥感。明和電機ご本人のイベントでは味わえない刺激と興奮がありました。明和電機の求心力、そして明電商会さんの企画力&実行力にただただ圧倒されたイベントでした。
 このイベントから既に20年以上経過していますが、後にも先にもファン主催のイベントはこの「裏電博」のみ。貴重な経験をさせてくれた明電商会さんには感謝しかありません。

<本誌掲載イベント&TV ON AIR>
1997:08月 下北沢CLUB251 亜細亜的夜
1997:08月 渋谷アップリンクファクトリー ミーチ兄弟
1997:08月 新宿高島屋HMV インストアデモ
1997:08月 池袋WAVE インストアデモ
1997:09月 渋谷タワーレコード インストアデモ
1997:09月 渋谷スペイン坂 TOKYO FM 公開録音
1997:09月 月島 明和ファンイベント 裏電博
1997:09月 渋谷パルコ3 魚器展&ギャラリートーク
1997:09月 魚器図鑑 発売よもやま話
1997:10月 大阪なんばCITY 魚器展&ロケット広場デモ
1997:11月 新製品(新シリーズ)エーデルワイス初披露
1997:?月 NHK 未来派宣言

※渋谷アップリンクファクトリー(現アップリンク渋谷)が2021年5月20日でクローズするそうです。
→アップリンク渋谷閉館のお知らせ
コロナは今まで築き上げてきたアート表現形式を根底から覆そうとしているようです。アフターコロナ時代の表現方法がどうなっていくのか見守り、そして応援していきたいと思っています。

※明和電機初めての書籍「魚器図鑑」。アマゾンでポチるなどできなかった頃。新宿の紀伊国屋まで買いに行ったのもいい思い出です。

※エーデルワイス発表:耳たぶにセンサーを付け、心音をキャッチし、小さな電光掲示板に心音を表示する、というコンセプトでした。実際に試着することはできず眺めるだけでした。
手のひらサイズの電光掲示板は後の「ビットマン」に生かされているようです。今のエーデルワイスシリーズとは全く違う形ですがこうやって徐々に新しい作品が出来上がって行くんですね…。

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※長くなってごめんなさい。↓面白いデータが出てきました。
 本人もすっかり忘れていたボツページが発掘されました。その内容が1997年のネット&PC環境、(一部の)明和ファンの生態を顕著に表していて、今読み返すと時代劇を見ているようです。もう時効かな?、と思い載せてみました。23年の時を経て、今、光が当たります。若い方にはわかりにくいと思いますが、1965〜70年生まれ位の方は、当時のネット環境を取り巻く空気感が蘇ってくる…。かな?

赤文字の部分が1997年当時、明和電機ご本人がニフティフォーラムに書き込んだ文章。
緑文字がそれに対して私が書いた文章。

1997年 某日 ニフティ フォーラムより
明和電機 説教です。
 最近よくお客様から耳にする言葉なんですが、
→「イベントに来るニフティー周辺の人が怖い。」 
 人それぞれ趣味がありますので、致し方ないことかもしれませんが、僕も正直言って心当たりがある言葉です。
 時々ですが、好感の持てない場面にあったりすることもあるんですよ。
 明和電機は、決して社長&副社長の私物でなく、全国区で展開している「企業の商品」であること、少なくとも、このことは真摯に受けとめて下さいね。

 マニアックに捉えていただけるのは、とっても有り難いことです。
 そういうマイノリティな方々が、時代を動かしてると思いますので。
 むしろ、マニアックを突き詰めていただけるのでしたら、
 →「電協組合員規則」これを徹底的に履行してみませんか?そういうストイシズム、古いかな?


 これは、ニフティの明和電機の会議室に明和電機ご本人が打ち込んだお言葉です。
 この本をご覧になっている方は「ニフティ」というパソコン通信のフォーラムの中で「明和電機の部屋」というのがあるのをご存じでしょうか。この会議室の中では明和ファンが集まって、毎日のように明和に関しておしゃべりを楽しんでいるのです。
 たまに、社長&副社長&ヲノさんも会議室に参加するし、なんといっても毎日情報が流れるので月報よりも何よりも明和情報が早くゲットできるとてもオイシイフォーラムなのです。
(注・社長/副社長は公平さを持つためだと思いますが、明和の活動予定の告知はしていません。あくまでもファンが自分で調べた情報を教え合うというスタイルです)
 けれどパソコン通信をしている人は限られています。その数人が寄り集まって団体になってしまうと1人、2人でイベントに来ている方達にとっては圧迫感があるんだろうな…というのもわかります。お恥ずかしいですが私もその中の1人に入っていると思います。
 「明和」というキーワードがあれば、年齢、性別、職業、普通に生活していたら繋がりの無い方達とも知り合いになれるチャンスがあると思うのです。お互い、歩み寄りが大切。明和のお言葉を胸に、気をつけていきたいと思います。


 1997年当時はは明和ファンだけではなく、全ての「ファン」と呼ばれる人々は情報に飢えていました。だから本が、雑誌が売れて、テレビがもてはやされた。

 今は逆。情報は溢れてる。ちょいとスマホを見れば幾らでも、タダで手に入る。
 どちらがいいか?と言われれば…。私はどちらも好きですwww。

 情報が少ないのは確かに大変です。どうやって探すのか、まずそこから考えなければならない。しかもやっと行き着いた情報が間違っていることもある。
 でもその対価として得られた時の高揚感はハンパない。当時のあの興奮は、今では絶対に味わえないし、あれこれと知恵を絞り失敗した経験は仕事やその後の情報獲得に役立ちます。
 ならインターネットが無い方がいいのか?…とんでもない。

 明和電機もコロナでライブ中止になってもオンライン開催が出来た。
 電協(明和ファンクラブ)の更新も自動で出来るようになった。忘れて慌てて問い合わせる事もなくなった。
 何と言っても全国、全世界の明和電機ファンの方とネットを通じてやり取りできる!これは本当に大きいです。自分以外にも明和ファンが大勢いて、皆さんそれぞれ趣味に仕事に頑張っている。そんな姿を垣間見ると「私も頑張ろう」と思えるのです。

 ネット万歳!技術進歩万歳!恩恵を思いっきりうけてます。
 私はこの先、ネットや世の中が変わっていっても「いいとこどり」していきたいな、していけるといいな、と思っているセコイ奴なのです。  

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