明和電機ファミリー22008.8.15発売/A5size 28P/500円


新企画「バカロボ コンテスト」、「明和電機と屋形船」真昼間から酒盛り&カラオケ大会!
そして正道お兄ちゃん明和電機会長に就任!

(会長=土佐正道:兄  社長=土佐信道:弟)

◼️バカロボ3原則 メカニック/役に立たない/笑える そんなロボット達大集合!なんと賞金50万円!
 NHK年末の風物詩「ロボコン」を追い越せ追い抜け?と思っていたかどうかは不明ですが、明和電機主催のおバカなロボットコンテストが開催されました。
 審査員は社長、漫画家 しりあがり寿氏、映画監督 樋口真嗣氏、電気通信大学教授 稲見昌彦氏。皆様それぞれの業界をリードする実力者の方々ですが、そんな立派な方達に「アメリカ横断ウルトラクイズ帽子」のようなヘルメット「バカメーター」を被らせていました。「バカメーター」は工事用ヘルメットに大きなメーターを取り付けそのメータの振れでバカ度合いを計測します。非常に重く首が痛くなってしまうのが弱点。

 ロボットは全部で10点位?出場しました。その中で印象に残ったロボット達は…
<勃具>
 掃除機のゴムホースを先端を丸くしたビニール素材で包み込んでいます。ゴムホースに空気が送り込まれると、だらりと倒れていたホースがゆっくり、うねうねと立ち上がり、くねくね、ぴくぴくと微妙に動きます。その様はまるで…勃…○…R18。
 ロボットに微妙で不規則な動きをさせるのはとても難しいとのことで、審査員の方達は技術は凄いけど…と前置きをし、慶應義塾大学の方…期待してたのですが…と複雑な表情。そんな中しりあがり寿氏の「毛を生やしたいですね!」がトドメになりました。
 この日は「変なロボットが見れるよ!」子連れでだったのですが、5才の子は全く意味は介さず、ただただ動きの面白さに大喜びだったのが救いでした。実は子が一番反応が良かったのがこの「勃具」だったのです(汗)

<プッシュ君>
 ゴミ箱ロボット。4本足の前足部分でゴミを拾うと、箱の中から「奥の手」が出てきてまたゴミを捨ててしまう。というお笑いロボット。大阪の製作者との掛け合い漫才も楽しいロボットです。お笑い要素ばかりに目がいってしまいますが、動きはとてもスムーズで技術の高さが伺えました。
プッシュ君→ムービーがありました。残念ながらゴミ拾いのシーンはありませんが雰囲気は伝わるかと思います。

<キントレーZ>優勝ロボット
 当時大流行していた「ビリー・ザ・ブートキャンプ」と共にひたすら腹筋運動をするロボット。やればやるほどエネルギー充填されるがそれとは逆に体は徐々に壊れ、腕が捥げ、最後は頭が取れて自爆!
 一所懸命パンチ&レンダをしても最後は首が吹っ飛ぶ「パンチくん&レンダちゃん」を彷彿とさせます。
キントレーZ→こちらもムービーがありました。腕が取れるところまで最後の自爆部分はありません

 よしもとのコネを最大限に活用し司会は南海キャンディーズの山里亮太氏でした。お笑いの司会ではお約束のキラキラ光る大きな蝶ネクタイをつけ、完全アウェイな明和電機ファンの前でも軽快でツボをついたトークで会場を盛り上げてくれました。とにかく場の空気を読むのが上手くお客さんを上手に盛り上げてくれて「あ、この人プロだ。本物だ〜」と感心しました。当時はそれほど有名ではありませんでしたが、今は飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍中です。こんな凄い方にうちの子いじってもらったんだ…と時々テレビでお姿を拝見すると当時のことを思い出します。

◼️明和電機と屋形船!真昼の闇鍋カラオケ大会!
 どういう経路で屋形船なのかは不明ですが、とにかく!明和電機社長と宴会部長のような陽気な松陰浩之氏と一緒に屋形船に乗れる!お酒も飲める!カラオケも出来る!一緒に写真も撮ってくれる!となればこれはもう行くしかないでしょう。
 参加者は浴衣着用してね、と募集要項にあったのでわざわざ美容院で着付けしたのに蓋を開けてみたら浴衣は私と日野さん位だった…。いいファンだよ、私達!

<闇鍋式カラオケ大会>
 社長&松陰さんに歌ってほしい曲をカードに書き、そのカードをくじにして、引いたカードに書かれた歌は知っていようがいまいが絶対に歌わなければならない!という「闇鍋カラオケ」。
 30人弱の参加者はウケを狙ったりマジだったりで様々な曲を書きました。
社長:さあ!それでは最初の一曲目は…なにこれ?きらぴか?「はなをぷ〜ん」?知らないよ…自分が日本人かどうかわからなくなってきましたよ!♪は〜な〜は〜な〜はなをぷ〜ン?わかった!これは村上ショージですね!
松陰:オレ鼻をぷ〜ンはいやだなあ。おっ!いいのがきた!「キューティーハニー!」昔ドッキンドッキンしながら見ましたね!♪ハニーフラッシュ!
社長:おっ!今度は歌える!「残酷な天使のテーゼ」(07年夏はエヴァの映画が上映されてました)
松陰:さ〜て、次は…おっ!キタ!「勝手にしやがれ!」いいね〜70年代!ま、それだけ年齢層が高いって事だね!ってあっ、言っちゃいけなかったかあ〜(笑)
社長:いいなあ、松蔭さん、ぼくも阿久悠!こい!阿久悠!…「マツケンサンバ」(一同大爆笑)知らないんですけど〜。一応、サンバはやった事あるんですけどね。(サバオDEサンバ)
松陰:マツケンサンバ!マツカゲサンダ!(笑)さ〜て、オレはルパン三世!」いいね、カッコイイね!
社長:いいなあ…松蔭さん…さて、ぼくは…「北島三郎 祭り」これ歌えないよ〜
松陰:♪ま〜つりだまつりだまつりだ〜…ってコレでOK!
社長:「君に胸キュン」!歌える!。昔、大谷健太郎くんに明和はYMOに例えると、最初に「胸キュン」やっちゃった、って言われた。
社長:さて、次はお客さんとデュエット!
松陰:ははは!明和のファンは解ってるね!「はいすくーるララバイ!」長井くんですよ「な〜?」いいですね、古い歌は!また、段々明和ファンが好きになってきましたよ!
社長:やっと阿久悠きた!「ピンクレディー UFO!」ぼく、これ踊れます!
松陰:オレはキャンディーズ派なんだよね、のんちゅんの世代になると…
社長:ピンクレディーですね〜!姉2人が踊ってました
→全員で明和電機ただ1つのシングルカット曲 「エーデルワイス」熱唱!
社長:おにいちゃん、なにしてるかな〜?「♪再起動!」(笑)
社長:おっ!デュエット!きた!「銀座の恋の物語」!これ書いた方!一緒に歌いましょう!
最後は全員で明和電機社歌を合唱
松陰:さああ〜飲み直すぞおお〜!

 一発目で社長の鼻をへし折った「はなをぷ〜ん」は当時4〜5才女子に大人気だった「きらりん☆レボリューション」というアニメの主題歌でした。カラオケの新曲と偶然モニターに表示されたのでつい書いてしまったのですが、まさかこんなことになろうとは。社長、ごめんなさい。セーラームーンとかにすれば良かったかな〜。
はなをぷーん→

<本誌掲載イベント>
2007:08.25 お台場 屋形船あみ達 明和電機と屋形船(制作協力:日野いすゞ)
2007:11.14 新宿 ルミネよしもと バカロボ コンテスト
2008:03.22 新宿 ルミネよしもと 明和電機事業報告ショー
2008:04.29 東京都現代美術館 大岩オスカール夢見る世界 オスカール大岩×山下裕二トークイベント(ページ制作:日野いすゞ)
2008:06.21 昭和40年会ザ・ムービー「晴れたり曇ったり」上映会&トークショー(ページ制作:日野いすゞ)

※この年の事業報告ショーで元社長 正道お兄ちゃんは晴れて「明和電機会長」に就任されました。今では「会長」という呼び名もすっかり定着していますね。

※オスカール大岩 夢見る世界:今でも印象に残っている壮大かつ緻密、大都会、廃墟、ジャングル、異世界を見渡すような展覧会でした…。当時子育て真っ最中の私は明和のイベントに行くだけで精一杯でとても他の展覧会に行く余裕はなかったのですが、「これはせめて見たい!と」無理やり時間を作って見に行ったのを記憶しています。奮発してカタログも買いました。後から松陰さん監修と知り喜びが倍になりました。
 日野さんのトークショーのレポだけでも見ることができて嬉しかった…。オスカールさんはブラジル日系2世。幼少期はサンパウロで過ごし、1990年代日本でもアート活動をし、現在はニューヨーク在住。建築も絵画も学校トップの成績。中学生の頃から絵のコンクールで優勝しお小遣い稼ぎをし、13〜4才で1人でチリ旅行。アトリエでの制作時間は9時〜5時で終わる…という天才肌のお方です。

昭和40年会ザ・ムービー「晴れたり曇ったり」:昭和40年会が総力を結集して真面目にお送りするホームドラマ…のはずがない。日野さんも本誌で書いていますがR指定してもいいくらいのアブナイシーンもあります。出演:会田誠、松蔭浩之、土佐正道、パルコキノシタ、有馬純寿、大岩オスカール、宇治野宗輝、小沢 剛

※腑抜けども、悲しみの愛を見せろ:2007年社長が出演した映画。今まで見た中で(私の中では)一番面白かったのでご紹介します。
 社長の役は「自意識過剰な女優志願女子(佐藤江梨子)が憧れている新進気鋭の映画監督」という役どころです。今まではストーリーに直接関わらないチョイ役だったのですが、この役はセリフも多く本筋にも多少は関わってきます。

<ここまでお付き合い下さってありがとうございます>
 私が生き延びねば、明和はコミケから失われる!なんて表紙に書いていますが、この本を最後にひっそりと明和同人誌作りをリタイアしました。
 この本のネタはおおよそ2008年頃までのものなのですが、2009年になるとYouTubeが普及し様々な明和の動画がUPされるようになりました。またTwitterも普及し始め明和電機も2009年にTwitterを始めています。イベントやライブ、社長の様子はネットでほぼリアルタイムに近い形で知ることが出来るようになりました。
・私の明和本は実際に行ったイベントの様子を載せていたのですが、半年以上遅れて素人の作った本にはあまり面白みは無いのでは…と思ったこと。
・現実問題として子連れで行けるイベントは限られており、本が作れるほどイベントに行くのは不可能だったこと。
・明和の活動範囲が海外に広がるようになり、もはや素人が趣味で追いかけられる範囲を超えてしまったこと。
・単純に「ちょっと疲れちゃった」本のネタ探しという枠を取り払って、のんびり明和を楽しみたい、と思ったこと。
・冗談で出してみた「貴腐人公論」が予想外に評判が良くこちらに集中してみたくなったこと。
 などなどです。

 初めて本を出したのは1996年。なんと干支一周12年間本を作り続けていたことになります。まあよく作ったものだと自分に呆れてしまいますwww。12年と言葉にするととても長く感じますが、夢中で作っている時は本当にあっという間で苦しくも楽しい時間でした。
 浮き沈みの激しいアート界の中で着実に実力をつけ活動フィールドを広げ走り続け、楽しいネタを12年間も提供し続けてくれた明和電機の努力と熱意に感心するばかりです。これからも益々のご活躍を期待しております。

 今でも回りの空気を読むのが下手な私ですが、本を作っていた当時は子育て、本作り、仕事で許容範囲ギリギリ。周りが見えず、家族、友人に随分と迷惑をかけました。
 そんな中、最後まで明和本に付き合ってくれた日野いすゞさん、売り子を手伝ってくれたMさんには、特選16のページでも書きましたが、感謝しかありません。本当にありがとうございました。

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